TOP >PROFILE

PROFILE

幸菊 SAKIKU
このHPで好きなようにやることにしたのは、私が無名なうちに好きなことやってやるぜ、
という心もちからです。まるで有名になると信じてやまない様でしょう。
少しでも大人のしがらみが垣間みえたら、私は節操がないので、簡っ単に内容を片づけます。
生まれ育ち神奈川県民ですからね、まぁ手のひら返すの上手よ~。(諸説ある話)
神奈川県生まれ。平成と年の刻みが同じ。蟹座。
・東京経済大学現代法学部 首席卒業。在学中に制作会社緑山スタジオにてドラマのセット装飾を行う。
・ICSカレッジオブアーツ インテリアアーキテクチュア & デザインⅡ部 卒業。
ご本人たちは大学に思い入れは無いかもしれないが、スガシカオさんと井浦新さんと同じなのは
嬉しいとずっと思っている。二人とも何かを創りだしたり、自分で何かを始めたり美術が好きなので。

家具メーカー兼デザイン会社勤務 主に金融機関・薬局の空間デザイン、施工に携わる。
セツ・モードセミナー美術科 平成29(2017)年4月卒業
なぜ私が絵を描くのか
私が見たい色を描きたいから、表現できる方法が私にはこれしか無いからという単純な理由がある。
また、絵は音楽に勝てないと思ってずっとずっと悔しく思っているが、絵は数学や音楽、世の中のあらゆる
素晴らしいものを表現できるのではないかと知ったときから、私が絵を続ける理由になった。
私が高校の現国で読んだ、夏目漱石『こころ』などに救われたように、自分しかこんなこと考えてないだろうから
止めなくてはと感じ続けていた不安や悲しみに、誰かの表現によってこの世には同じように考える人間が存在すると
知るだけで、安心できることがある。私ごときに出来るかは分からないけど、だから言葉と絵を表現しようと思う。
世界には美しい光と色が溢れていて、それを誰かに伝えられたらと思ってきた。
初めての個展のための絵を描くために被写体と向き合いながら、
"世界は本当に7色で出来ているんだ"とやっと見えるようになってきて、もし私の絵がいい感じのものになった
としても"色のおかげでしかない"にひれ伏すようにもなったが、ますます面白さを感じている。

小さいころの夢に結局は戻るとはこうゆうことかと思う。ずっと信じてなかったけど、実際に体験した人じゃないと
分からないと感じている。幼稚園のときに頭の中にあったイメージ(山と野原とカラス)を気ままに描いていたら、
一人の誰かのお母さんが「上手ねえ!」ってゆって、「ねぇ見てすごい上手よ!」てゆって、「ほんとねぇ」って何人もお母さんが
覗きにきてくれた。そのとき私は「いやいやこんなん上手くないから。嗚呼、絵では食べていけない。上には上がいるんだから。」と
失望したことを人生でずーーーっと意識してきた。そのとき絵と向き合う辛さから逃げた。方法はいくつかあることも知らないのに、
自分で世界を狭めてしまった。
サラリーマン家庭に生まれたからなのか、「食べていくこと」が常に仕事の選択につきまとわせた。
何かものをつくって人を喜ばせたいとずっと思っていて、"それで食べるには"と遠回りをしていた。
ドラマの装飾になりたいと思っていたから、大学生のときに飛び込みで雇ってほしいとお願いした。
実際に装飾の仕事をして、建築・インテリアの見本市に出かけたりしていくうちに、限られた人が観るのではなくて、
本当に人が使うインテリアを作りたいと考えるようになった。大学で自分が思う本気を出していくなかで、建築・
インテリアのデザインに行きついた。立体的に物事をとらえることが得意じゃないことは分かっていたけど、好きなことで
成長した喜びは倍増するのだろうと考えた。インテリアの世界に丸4年間携わって、デザインの泥臭さ、プロについてを学べたのは私の宝だ。
自分が好きな景色で暮らし、デザインや表現に活かすために引越したのに、ただ数時間寝に帰るだけの生活のなかで、
大切な色が私の世界から無くなっていることが"まずい"と感じるようになっていた。
自分が思う相手を想う表現、というこだわりを実現するには自分でやるしかない、と、
年齢を経れば経るほど変なものがついて身動きをとれなくなるだろうと思って、初心に素直に戻ることにした。
そこに1年も暮らしていたのに会社を辞めてからやっと、徒歩数分・数秒のエリアにすごく素敵な場所や色があることを知った。
気づける目をもったというより、本当にその数十歩を運ぶ余裕すら無かった。
今思うとぞっとするし、私の世界に色が徐々に戻ってきた今がありがたい。街と仲間と絵と音楽のおかげだ。
嗜好 LIKES
書いているうちに楽しくなってきちゃって"知らんがな"なこといっぱい書いてます。
趣味 アコースティックギター。映画(こだわりは無いが気がつけばミニシアター系)。
紫陽花。ローズマリー(好きなのとそうでも無いのがある)。ライラック白。
場所 本があるところ。50mプール。美術室。ライブ会場。
スポーツ 競泳。スキー。
ラジオ。秦基博さん。宇多田ヒカルさん。池田貴史さん。山口一郎さん。黒人さん。
1242。J-WAVE。Michael Jackson。Des'ree。生演奏。CD。ギター。ベース。サックス。
嫌い:プロ野球中継(応援とか実況とか)、特にラジオから聴こえるやつ。
時間 朝。薄暮。
お月様 いつも好きだけど、十三番目。このサイトの公開も平成29年2月9日。
チャコールグレー
食べ物 フリット(フライドポテト)
ランキングを目的に食べてないが、最も美味しいと思ったのは、
たまプラーザにある『Dexee Diner』のガーリックフライドポテト。
大学生のときに食べてから未だに塗り変わらない。
2位も同じく、中学生のときに食べた本厚木の『うたうんだ村』のフライドポテト。
小さいころはコロッケが好きでコロ助にめちゃめちゃ親近感があった。
外国 ベルギー
(フライドポテト発祥の地と言われており、フリットミュージアムと
フリット専門店巡りをするべく大学の卒業旅行はここへ一人旅。
ファッションの街アントワープや建築家Victor Hortaの旧自邸もあったから。)
コーヒー ブラック
お酒 ジントニック。コーヒーもだけど両方とも舌と頭が面倒くさくないから好き。
作家 夏目漱石。原田マハ。大崎善生。
夏目漱石『こころ』、原田マハ『楽園のカンヴァス』『ロマンシエ』、角田光代『この本が、世界に存在することに』
松尾スズキ『クワイエットルームにようこそ』、橋本紡『流れ星が消えないうちに』、吉本ばなな『日々の考え』
倉本美津留『倉本美津留の超国語辞典』、遠藤周作『ぐうたら生活入門』、 J.K. Rowling『Harry Potter and...』
大崎善生『聖の青春』
画家 松本竣介。山田かまち。Cy Twombly。Edward Hopper。Paul Klee。Wassily Kandinsky。
Henri Julien Félix Rousseau。
maison Maison Martin Margiela(現Maison Margiela)。Alexander McQUEEN。LIMI feu。
Yohji Yamamoto。COMME des GARCONS。
建築家やデザイナー、つくる人 種田陽平。伊東豊雄。吉岡徳仁。吉村順三。佐藤オオキ。TOMATO。
制作された方々に感謝 『ファッション通信』『文筆系トークバラエティ「ご本、出しときますね?」』『浦沢直樹の漫勉』
『デザインあ』『グレーテルのかまど』『チョイ住み』『ライナーノーツ』『新・週刊フジテレビ批評』
『COOL JAPAN 発掘!かっこいいニッポン』『亀田音楽専門学校』『ムジカ・ピッコリ―ノ』
『美の巨人』『日曜美術館』『王様のブランチ(特に小説と映画)』『Project Runway』
『So You Think You Can Dance』『100分 de 名著』『アナザースカイ』『TOKYO DESIGN WEEK.tv』
『SWITCHインタビュー 達人達』『ミュージック・ポートレイト』『CREADIO』
映画 Elizabethtown。BEGIN AGAIN。Rudderless。私をスキーに連れてって。恋愛寫眞。
Music and Lyrics。The Devil Wears Prada。Legally Blonde。Notting Hill。Nuovo Cinema Paradiso。
なくもんか。
外国の俳優さん Mark Alan Ruffalo。James Kimberley Corden。Walter Bruce Willis。
どんぴしゃ 安藤政信。勝村政信。
ドラマ 恋ノチカラ。伝説の教師。王様のレストラン。ロングバケーション。いつもふたりで。カバチタレ!
春ランマン。2001年のおとこ運。
勘違いによるすれ違いとかの無い、普通に楽しい恋愛モノが心安らかに観られるので好き。
リアルタイムで『東京ラブストーリー』を観たくて観ていた記憶があるほど根っからのドラマ好き。
夜まで競泳の練習をしていたおかげで小学生でも22時からのドラマを観られたのはありがたいことだった。
心に残るドラマ 幸福の王子。聖者の行進。
ジブリ映画 魔女の宅急便
漫画 ほぼ読まずに生きてきたなかで、
ウルフ物語。ももちっく天使。SLAM DUNK。ジャングルの王者ターちゃん。ぼのぼの。
Paradise Kiss。ドラえもん。
セーラームーン 幼稚園のとき、ジュピター(緑)
通った音楽 私は音楽好きと言えるほど聴いてないと思ってきたけど、案外人は音楽を聴いていないのかもしれないと
最近気づき出してから、もっと本物の人がいるけど恥ずかしげもなく「音楽が好き」と言うようになった。
1960-1980年ごろの日本の名曲、たまに洋楽(Procol Harum 『A Whiter Shade Of Pale』と
BEN E.KING『Stand By Me』は耳に焼き付く)、ものまね王座決定戦で歌われていた曲、
『裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30』を日曜に聴くのが小学生のときの楽しみ。
王様のブランチの途中のCDTVも好きだった。
宇多田さんがデビューする前にラジオで『Automatic』を聴いた日の景色を今でも忘れない。
小学生のときクラスで今好きな曲の記述式アンケートがあって、これしかないでしょ!ばりに
私は野猿の『Be cool!』にした。結果『Be cool!』2票。私と誰か一人以外はみんな『だんご3兄弟』で、
まじで意味分かんなかったけど、そのもう一人が今だに気になっている。
AM1242のANN(ロンブー、西川さん、ナイナイ、くりぃむしちゅーの頃はよく聴いてた)。
中学生のときはFMYokohamaを聴きながら勉強の暗記をして成績は結構良かった。
小学生・中学生のころはポルノグラフィティ、KICK THE CAN CREW。
初めてのステージ観賞は小1のときのクリカン、ライブは中2ごろのKICK THE CAN CREW。
ラジオで頭から離れない曲や声があったら調べて、一気にアルバムを買う。
星野源、Ms.OOJA、サカナクション、レキシ、雨のパレードはそんな感じ。
『11人もいる!』のときから星野源さん好きだけど(既に人気あったと思うけど)、
今や「そのころから好きだったんだよね」とか言いづらい昨今になってしまった。
そのとき好きだって言っても説明や写真が必要だったけど今や不要になった。
秦基博さんは一気にアルバムを買って、カップリングも聴きたいからシングルを全て買った
唯一のアーティストさんだ。秦さんが発表している楽曲でカラオケに入っているものはほぼ全て歌った
(18時間くらい)。もう1000回近くは聴いてると思うから、ちょっと分からないフレーズとかもう無い。
新藤晴一さんとか宇多田ヒカルさんとかすごい歌詞や曲をつくる人はもういっぱいいると思っているが、
秦さんの作品には不思議と特別なものがある。
▶ミーハーのPLAY LIST
初めてフルで覚えた歌 五輪真弓『恋人よ』
幼稚園か小学1年生当時からいい曲だと感じていた。たぶん、パワーのある曲は年齢関係なく心に伝わるんだと思う。
昔誰かの文章を読んだけど、特にこの数年は昭和の曲も毎年聴いていて、もはや懐かしい存在でもなんでもなくて、
今の曲になっていると思う。
最期に聴きたい曲 秦 基博『新しい歌』
そのときにならないと分からないけど。この世と離れがたくなってしまいそうだけど。
秦さんの作品は私と一緒に燃やしてほしくない。現世に残しておいてほしい。
私の心と耳にしっかり残っているので持っていく必要はなさそうです。
首席の記載について
(吐き出したい顕示欲)
一番成績が良いということに一切価値は無い。むしろ私には何も無いと言っているようなものと思う。
ただ、学生が沢山いるなかで、雲丹の中心にはなりたくないという一心だったので少しは飛び出せた気がして
分かりやすいので書いている。そして首席になれたのは母方の祖父、祖母、母、龍ちゃん(黒ラブ)のおかげだ。
そして、学生にとても寛大な大人たち、社会、日本のおかげで、私は自由に学ぶことができた。
私の大学だけだったかもしれないが、高校の延長感、つまらなそうな顔してる学生がいっぱいいた。
入学したとき、「最下位か上位、どちらかになろう」と考え、「最下位になったとき他に飛びぬけた才能が
自分には無いだろう」と判断して、勉強することにした。
図書館の地下書庫の本を取り寄せたりに通いすぎて司書さんに院生かと思われた。
よく課題をインターネットだけで調べてる学生がいたけど、本の方が情報のリスクは低く的確だろうに
貴重な時間や本から学べる広く面白い世界を逃しているのはもったいないなと思う。思うだけ。
忌野清志郎さんの"大学は才能の無いやつが行くところ"は当時も今もずっと自分を奮い立たせている。
友達を作ると元々勉強しないヤツが上位なんてとれないので、誰とも喋らず大学の友達はいない。
ずっと最後列を陣取る人生だったけど、楽に集中するためにその教室の最前列にいつも座った。
ガリ勉ぽい人は2、3列目あたり、その他大勢は真ん中、効率がいい人は最後列的な感じで、
どこにも属さない学生だった。人生において初めて一日が24時間じゃ足りないと思っていた。
単位とは関係の無い聴講もして2年生のうちに必要な単位は全てとって、専門学校に通い出した。
武蔵野美術大学が近所で、単位互換制度があるから選んだ大学でもあるので、デザイン学や建築学を聴講した。
大学生の特権であり、教育は一生関わるものだから教職をとったがために3、4年生も週に何回か通った。
無事免許取得。そこにいた教職志望者の誰よりも真剣に考えていたし成績が良かった自信はある。
本物の教育者には根本的に勝つことは無いけど実習先でも"ぜひ教師になってほしい"と評価してもらったし。
大学に通わせていただいていることに毎日感謝し、大学で使える設備を使えるだけ使い、頼れる人は頼り尽くした。
直接見に行けるところに足を運び、経験できるものには飛び込んだ。
年老いて「もっとあのとき勉強しておけば良かったな~」とか言ってその今も何もしていない大人にだけは、
いわば強迫観念のように、絶対に絶対になりたくなかった。後悔のない人生なんて絶対に無いし勧めもしないが、
そんな自分を想像したら恐ろしくてたまらない。無我夢中だったが自分を徹底的に抑圧することで
自分のオリジナリティが表出してきた、必要な日々だった。
こんな文字を打つ暇があったら絵筆をとれと絵の神様に怒られそうだ。それでも書くけど。

(嗜好とはもはや関係ない)
・山登りの達成感のアピール:
富士山は日本人として一度は登りたかったし、 友人のおかげで頂上まで登ったことがある。
私に脚力と根性が無いだけの話だが、 平坦な地上のほうがよっぽど苦しく乗り越えた達成感は
素晴らしいのに、 わざわざ疲労をしに行って達成感とかちっぽけを実感しに行くて、理解しがたい。
マラソンも近いものを感じることがある。まぁ、私はただひたすらプールで泳ぎ続けるのが
好きだから、同じようなものか。
・ランドセル:
私は小学4、5年生のときにはもう使ってなかったけど、
学校に批判的で自由うんちゃらゆうてるのにランドセルだけは守っていることを
本革だから誇りに思いつつも「ええ゛、自由主張してんじゃなかったっけ」と、もう何年も不思議に思う。
小学生の実状を知らないから、使っていない子も多いのかもしれないけど。
・"ちっぽけな存在"ということにして悩みをすっ飛ばす:
地球や宇宙において極小であったとしても(実感するまでも無しに、はなから分かってることだし)、
本人にとってはただただ苦しく辛い大きな悩みであるのだから、そこで自分を"ちっぽけ"として
心は晴れて人に優しくできるかもしれないが、悩みの本質を解消できたわけではないと思う。
堂々とちっぽけな悩みを大事に悩んで苦しんでいいと思う。
・生まれた意味が無いことに悲観的:
天皇陛下とか国にとって大切な人ならまだしも凡人の私は「そもそも無いやん」と思うから。
ただこの世の中を少しでも未来に繋ぐための間の人間でしかないと思っている。
その生きている時間のなかで何もしないってのも難だから、全うできるだけしようと思う。
自分が精子の時に一番に入ったのがそもそもの責任だし。生まれてくることを決めたのは自分。
子供は親を選べないらしいが、親も子供を選べないことは忘れないようにしている。

ページの先頭に戻る